misakoさんとゆくアメリカ村

道頓堀が世界からあらゆる人々の集う街なら、アメリカ村は常に関西の若者文化をリードしてきた街といえよう。両者はいずれも大阪・ミナミを代表するエネルギッシュな街でありながら、性格は全く異なる。10代の頃、この街の服屋さんで働いていた経験のあるポールダンサーのmisakoさんとアメリカ村をフォトウォークした。

かつてはさびれた倉庫街だった

アメリカ村が誕生したのは、1970年代のこと。江戸時代には大阪湾から道頓堀川をさかのぼって炭が集められていたことから「炭屋町」と呼ばれていた。心斎橋のすぐそばに位置しながら、賑わいからは程遠いいわゆる倉庫街だったのである。それらの倉庫を改装した店で、アメリカ西海岸から輸入した洋服や古着、中古レコードなどが販売されるようになり、週末にはフリーマーケットなども開催されはじめた。ちなみに「アメリカ村」というネーミングは、百貨店で開かれた「アメリカ村夏の陣」というイベントに由来する。

僕がアメリカ村に足を踏み入れたのは1980年代に入ったころ。大学生のときだった。当時流行っていたサーファールックのメッカに、友人3人と降り立ったのである。とはいうものの、店が点々とあるだけで、「アメリカ村」という表記はどこにもない。途方に暮れた僕たちは目の前の店に飛び込み、店主らしき人に尋ねた。
「すいません、アメリカ村ってどこですか」
「ここ」
1980年代初頭は、このぐらい何もなかったのである。

急成長を遂げる1980年代

1993年、大阪市立南中学校跡地に開業したBIG STEPは、個性的なデザインでアメリカ村のランドマーク的存在

ちょうどタウン誌を始めた年に日航ホテル大阪がオープンし、運よくオープニングセレモニーに招待された。翌1983年には今やアメリカ村のシンボルともいえる「Peace On Earth」の製作現場にも立ち会うことができた。タワーレコードができ、BIG STEP、OPAなどの商業施設が次々にオープンし、BEAMSやSHIPSなどの原宿ファッションもこぞって出店。アメリカ村は関西を代表する「若者の街」に急成長を遂げたのである。

しかし隆盛は10年ほどしか続かなかった。低年齢化・落書き・騒音・ゴミ…治安はみるみる悪くなり、おしゃれな店やハイセンスな人たちは、近隣の堀江や南船場に流れてしまった。
僕自身もタウン誌を廃刊したこともあり、しばらくアメリカ村から足が遠ざかってしまっていたが、最近はちょこちょこ踏み入れている。コロナ禍の影響で客足が激減してしまった道頓堀にある旧知のギャラリーから「力を貸してほしい」との要請があったためだ。当初は1週間だけのイベント開催のつもりが、延々と続いて1年半になる。

今、アメリカ村は徐々に賑わいを取り戻しつつある。かつてアメリカ村で遊んだり働いていたりしていた人たちが、年齢を重ねて今度はオーナーとして店を構え出した。もともと個性的な人たちが作った街であり、知名度は全国区である。それぞれの店のこだわりの商品はもちろん、個性的なファッションをした若者たち、独創的なオブジェ・建物は見ていて楽しいし、とても絵になる。フォトウォークには最適なエリアだ。

misakoさん
ポールダンサー

https://www.instagram.com/misako_pole/

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